十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

過去ログ

『落ちていく彼』

  2階
「それで、どうするの?」
「ファミレスで良いんじゃない。俺、好きだし」

 結局、ファミレスか。という私の表情を、彼は全く見ていない。それもいつも通りだったので、私は諦めていた。
 彼が私のことを見てくれなくなったのは、いつ頃からだったのだろうと考えてはみたが、全く思い出せなかった。

  3階
「近所のとこ?」
「うん。美味しいからね。あそこは」

 彼は楽な人生を歩んでいる。好きな時に好きなことをする。嫌な箱とからは逃げる。極力努力はしない。
 初めは私も戸惑ったけれど、慣れてしまえば何のことはない。いつの間にか彼のペースに合わせて生きていくようになった。しかし、彼を好きになった理由が、今でも思い出せない。

  4階
「そういえば、昨日はどうだったの?」
「ああ、あれはちょっと酷いよ」

 彼が酷いと言葉を漏らした理由は、私の悪戯によるものだった。
 実は昨日、彼のお弁当の袋の中に、彼が大っ嫌いな虫のおもちゃを忍ばせておいた。彼からすれば、肝を冷やす事だったろうと、想像するだけで私は笑みを浮かべていた。

  5階
「仕返しだよ」
「それにしたって僕の唯一の楽しみランチタイムが……」

 私が彼のランチタイムを台無しにした理由。それは昨日の記念日を、彼がすっぽかしたからだ。
 ランチタイムなんて毎日やってくるけど、記念日は年に一回きり。私のショックから比べれば、彼の悲しみなんて比べものにならない。それに……。

  6階
「それでも夕食は、一人で美味しいもの食べたんでしょ」
「……まあね。でも一人って言うか社長たちとだけど」

 会社の社長たちとの会食。詳細は聞いていないけれど、普段私が食べないような食べたに違いない。
 どんなお店で、どんなものを食べて飲んだのか。はっきり答えてくれないところに、本人にも後ろめたい気持ちがあるのだろう。

  7階
「はあ、私もキャビアがのった伊勢エビとか舌がとろけるようなお肉、食べてみたいなあ」
「だからまた今度、美味しいお店、連れて行ってあげるって言ってるじゃん」

 私は彼に睨みをきかせた。
 本来なら記念日のにちょっとお高いレストランで食事。という予定だったのだが、いつも通り部屋での食事になりそうだった。

  8階
「記念日は年に一度しかないんだよ。それを逃したら一年待たなきゃいけないんだよ」
「……うん、だから、ごめん」

 歯切れの悪い返事。彼の中でも反省をしてくれている様子だが、私の怒りは収まっていない。
 私は今晩、再び仕返しをするつもりだった。

  9階
「それじゃ、私の言うこと、聞いてくれる?」
「え、あっ」

 私は彼の言葉を聞くや否や、思い切り彼の背中を押した。
 彼の身体が宙を舞う。そして彼の顔が逆さまになって見えた。

  10階

「ごめんね」

  1階

 肢体をおかしな方向に曲げた彼は、地面に仰向けになっていた。

 最後の会話。
 彼にとっては何気ない日常だったのだろう。
 落ちていく彼は、なぜか笑っていた。

『兄弟』

 ※※※

 強くて格好いい、僕のお兄ちゃん。

 僕ら兄弟は、生まれた時からずっと一緒に過ごしている。

 兄ちゃんは物知りで何でも知ってるから、僕にとっては先生でもあるんだ。だからといって、喧嘩をしないわけじゃない。

 僕がわがままなことを言うと、ちゃんと叱ってくれる。その時は、いつも僕はふてくされるのだけれど、僕もすぐに反省して謝る。最近は少なくなったけどね。

 そんな頼れるお兄ちゃんにとっても苦手なことがあるらしい。でも、それが何なのか、僕は知らない。
 いつも「誰にでもひとつやふたつ、苦手なものはあるもんさ」と言っているから、お兄ちゃんにもあるんだなって、僕は思っているんだけど、僕はそれを聞こうと考えたことはない。

 だって、お兄ちゃんが苦手なもの、それは僕にとっても絶対に苦手なものに決まっているから。それが兄弟ってやつでしょ。

 ただ、ある日お兄ちゃんが何かを悟ったかのように、僕に話してきた。

「なあ、弟よ。お前は将来、何かしたいことでもあるのか?」

「将来? あまり考えたことがないな。お兄ちゃんとずっと一緒にいられれば、それで十分だよ」

 僕がそう答えると、お兄ちゃんは小さく笑った。

「そうか。お前はやっぱりかわいいな。……なら、問題ないか」

「問題ない?」

 僕が首をかしげた瞬間、ふっと身体が軽くなった気がした。

 世界が宙を舞っている。それでも、僕とお兄ちゃんが離ればなれになることはない。僕らは繋がっているから。

 だから僕は安心していた。それに回っている世界の中でも、お兄ちゃんの表情だけは、はっきりと見えていたから。
 でも、その表情は、とても哀しそうだった。

「弟よ。俺たちはずっと一緒だ。それだけは例え何があっても――」

 お兄ちゃんの言葉の意味が、その時の僕にはよくわからなかった。


 ※※※


「好き嫌いはダメよ」

 お母さんにそう言われ、ぼくはふてくされた。

 食後に頼んだパフェ。そこには必ずと言って良いほどサクランボが入っている。ぼくはそれが好きじゃなかった。

 すっぱいし、ほとんど種。鳥が食べるものだろうって。

 ただ、今回注文したパフェには、二つの実の付いたサクランボが添えられていた。

「じゃ、俺にくれよ」

 隣に座っていた兄がそう言うと、間髪入れずにパフェの器に残っていたサクランボをひょいとつまみ上げて、口の中に入れてしまった。

 いくら嫌いなものでも、自分のものを兄に横取りされたのかと思うと、ちょっと気分が悪い。

 兄は自分勝手で、自分の思い通りに行かないと機嫌を損ねる。醜く太った頭の悪い兄だった。

 きっとぼくらは将来、一緒に暮らすことはないだろう。

『おかしな家』

 これは、初めて友達の家に遊びに行った時の話である。

 彼女の名前は『あめ』と言い、みんなから『あめちゃん』という愛称で呼ばれていた。だから、私も彼女のことは『アメちゃん』と呼んでいたのだが、今後は軽々しく、その愛称では呼べないだろう。

 あめの家は、住宅街から少し離れた場所にあり、家の周りは高い木々で囲まれ、まるでわざと見つからないように隠して建てたかのようだった。

「夢の国みたいでしょ」とあめは微笑んだが、私には不気味にも感じていた。

 まだ昼間だったから良かったものの、もし夜に遊びに行ったら、家の周りに街灯はなく、あめの住む家の窓から見える光だけしかなくなる。外から見たら、さぞ妖しい雰囲気になるだろうと想像したからだ。

 ただ、家の外観はとても綺麗で、不気味さは感じなかったが、同時に夢の国のような好奇心も沸いてはこなかった。それでも、あめは私に見せたいものがあるか何かで、とても気分が高まってるご様子。

 家の中に入った瞬間、ハチミツとキャラメルを混ぜ合わせたような香りが鼻を襲った。

「すごい…」

 思わず私がそう言葉を漏らすと、あめはニコッと悪戯に微笑む。そしてリビングに私を案内して、椅子に座って待つように言った。

 しばらくすると、キッチンの方からあめが大きな鍋を持ってきた。もうその時点で、その中身がとてもとても甘いもので作られた“何か”と言うことは、その鍋から漂う香りで容易に判断できた。

「さあ、召し上がれ!」

 オレンジ、いやパープル? もうその色を判断する色相の知識が私には無かった。それに甘い香りは、脳髄を溶かしてしまいそうなくらいにきつい。

 器に盛られた“何か”は、まるで生きてるかのように、私に訴えかけてくる。「食べちゃダメ」って。

「ごめん、ちょっとお手洗い借りても良い」

 少し考える時間がほしかった。この場をどう逃げ切るかを。

 家の中に入ってしまった時点で、そう簡単にあめも私を逃がしてはくれない。それでもあの“何か”を口にすることだけは、避けたかった。いや避けなければ命に関わるかもしれなかったのだ。

 教えてもらったトイレに向かう間、いくつかの部屋の前を通った。どの部屋からも甘い香りが漂い、しかも全て種類の違う香り、この家はお菓子で作られているのかと疑いたくなるくらいだ。
 そしてトイレの中に入った私はまず、携帯電話を取りだしたが、案の定圏外。トイレに備え付けの窓はなく密閉されている。ここまで来る間の廊下にも窓硝子のようなものは見つからなかったので、恐らくこの家の出入り口は玄関のひとつだけ。それを悟った時の絶望感は、今でも脳裏に焼き付いている。

 何一つ良案が思い浮かばないまま、私は時間の限界を感じ再びリビングに戻った。

 すると、先程まであった“何か”とあめの姿が綺麗に無くなっていた。あめの名前も呼ぶも、返事がない。不思議に感じつつも、今が最大のチャンスと思い、私はすぐに玄関へと向かった。

 扉を開け外に出ると、いつの間にか雨が降っていた。

 だけど、おかしい。

 空を見上げれば、オレンジ色の夕日も差していた。その光に反射して降る雨粒は、まるでべっこう飴のような色をしていた。

 唇に触れたその雨粒を舐めてみると、気のせいかもしれないが、ほんのり甘さを感じた記憶がある。

 私はその日以降、約20年間、あめを見ていない。彼女はいったいどこに行ってしまったのだろうか。そしてあのおかしな家は、まだあそこにあるのだろうか。

 でも、もう二度と、甘い香りに誘われないと、私は誓っていた。
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