十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『透明なメニュー』

彼女の名前はソフィアというらしい。

僕よりも背が高ければ頭も良い。目鼻立ちも整っていて、尚且つ透き通るかのような白い肌。

典型的な東洋人の容姿である僕には甚だ不釣り合いだ。

この《瞹眛喫茶》で出会った彼女は、なぜか僕のことを聞いてくる。好みや趣向、それに僕がどんな環境で生まれ育ったのかまで。

彼女は問いかけてくるだけで、僕からの問いには全く答えてくれない。彼女の名前もマスターから聞いたのだった。

答える必要のないことまで答えた気がする。ソフィアの大きな瞳には相手を惑わすような魅力がある。その瞳を前にして嘘がつけないのはもちろん、口に出す言葉さえ操られている感覚だった。


ある日、僕が再びソフィアに誘われ向かい合って席に座っていると、マスターが二つのコーヒーカップを運んで来た。

「もし、よろしかったらいかがでしょうか。当店の新メニューです」

カップの中を見た僕は首を傾げた。

色の無い透明な水。カップの白い底が見えている。紅茶のような香りが立っている訳でもない。

「これはなんですか?」

曖昧さを好むマスターの新作。「これはなにか」と問うのは野暮かもしれないと思いながらも、僕は聞かずにはいられなかった。

するとマスターは目尻に皺を寄せて微笑みながら言う。

「こちらのメニューにはまだ名前がありません。ぜひお客様につけていただければと」

いったいどんな味がするのか。僕が恐る恐るカップに手を伸ばすと、横からソフィアの細い手がスッと伸びてきて、僕よりも先にその新作を口に運んだ。

その様子をただ息をのんで見つめることしかできなかった僕は、彼女の口から発せられるであろう言葉を待った。

「いかがでしょうか?」

マスターがソフィアに問いかけると、瞳を閉じ溜め息を吐くように言った。

「まるで大人の恋心ね。マスターの愛がこもっているわ」

ソフィアの心からの笑顔を初めて見た気がする。

「恐縮です」

マスターが軽く会釈をすると、おもむろに僕のほうを見た。

自分も飲むようにと促されていると察した僕は、少し慌ててカップを口に運ぶ。

「いかがですか?」

マスターの問いに、僕はどう答えたら良いのか。頭の中にある数少ないボキャブラリーの中から厳選するのに少し時間がかかった。

そして僕の口が勝手に動いた。

「まるで、ソフィアさんの肌のようです」

その言葉を声にした瞬間、身体が痺れるように熱くなった。すると、マスターは言う。

「では、この新メニューの名前は“ソフィアのようなもの”にしましょう」

まさかの展開に僕は焦ってソフィアのほうに視線を向けると、なぜか彼女も嬉しそうにしていた。――僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだったのに。


そしてその“ソフィアのようなもの”は、新たなメニューとして《瞹眛喫茶》の隠れメニューとなった。

正直なところ、僕が口にした“ソフィアのようなもの”には、味が全くなかった。

そう、ただの白湯だった。

だけど、とても美味だった。
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