さて今回は、詞や名言など紹介していこうと思います。
まずはこちらの詞。
この一冊の中に『のちのおもひに』という詞があります。
以下青空文庫より引用。
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
詞に関しては全くの専門外なのですが、一応文学部出身なので学生時代にいくつか触れる機会がありました。詞は詩人と作品が深く関連しているものが多い印象があります。
一概に《夢》といっても様々表現ができます。希望に満ち果てていたり過去の思い出だったり、はたまた妄想であったりと。『のちのおもひに』では晩秋から師走へと季節の変化とともに《夢》に比喩表現を用いて、その儚さを詠っています。
自分の人生の晩年に《夢》の捉え方がどう変わるのか興味深いものです。
続いてはこちらの名言。
私の中では、クレヨンしんちゃんは少し言いすぎかもしれないですが人生の教科書的な存在になってます。中でも野原ひろしは、理想的な父親像です。
その名言のひとつに「単純に生きるほうが難しいんだ。」とあります。
この言葉を聞いて以来、単純におもしろいとか単純に楽しいとか、その単純さを創作しているうちに忘れてしまいそうになり、時々思い出すようにしています。
単純に生きていければ、幸せかもしれないですね。
最後に、私のこれまでの人生の中で、最も影響を受けたと思われる経験を少し綴ろうと思います。
あれは中学三年の秋。
部活動を引退し、高校受験のため学習塾に通っていた時期がありました。
当時はまだ小説自体に強い興味があったわけではありませんでしたが、少しづつ興味の糸を手繰り寄せているような時期だった気がします。
そんな時、塾の片隅に山積みされていた古本を好きなだけ持って行っていいという塾長の計らいで、私はその中から何冊かの本を選びました。その一冊にカバーのついておらず、表紙にも何の印刷もされていない本がありました。サイズは文庫本程度のもの。栞紐もついてはいたのですが、数100頁にも及ぶ全ての頁には、何一つ文字が書かれていませんでした。
これは本なのか、手にとった時は首をかしげるだけでした。ただ、どの他の本よりも私の興味を引きました。題名も表紙も目次も裏張りも何一つ無いのに、いえ、何も無いからこそ、その本には自由に想像する魅力をそこに綴ることで知ることができる、そんなものなのではないかと。その本との出会いが自分自身が物語を綴ることへの布石となったのかもしれないと思うと、塾長には感謝です。
その本は今でも手元にあります。当然そこには何も書かれていません。いつかそこに物語を綴る日が来るといいですね。
ただこの間、文房具屋でその本ととても良く似たメモ帳を見かけたのですが、私は何も見なかったことにしました(笑)。
さて、しばらく小説の更新をしていませんでしたが、12月からはしっかりと目標を持って更新していきたいと思います。
またこの記事を区切りに私《しょーと》というペンネームを
《十文字 兄人(じゅうもんじ しょうと)》改めようと考えています。同時にブログタイトルも変更します。
今後とも当ぶろぐをよろしくお願い致します。
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