十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『ピースという名の小品文』

※五十記事記念作品


 パズルのピースをはめていた私は、ふと残りわずかのところで後ひとつピースが足らないことに気づく。
 この瞬間、ぷつりと集中の糸が切れ手が止まる。しばらくの思考の停止の後、はっとして辺りの捜索を始める。

 見当たらない。

 本来、真っ先に疑うべきは自分自身。最近物忘れが激しいのもある。無意識のうちにどこかの物影に弾いてしまったのかなどと。しかし、どうしても他の要因を当たってしまう。

 子どもが遊んだ時になくしてしまったのか。
 それともペットの猫がどこかへ持っていってしまったのか。

 あるいは、妻が意図的に抜いておいたのか。

 部屋に隠してあったカメラを手に取る。渦巻く疑念をすっきりさせたくて。そして録画されている映像を遡る。
 映像にはこのパズルで遊ぶ妻と子どもたちの姿。側には猫もいる。数分後にはパズルが完成する。この時にはまだ、パズルのピースは欠けていない。

 別の日。
 妻が部屋の掃除をしている。すると、インターホンが鳴る。妻が掃除機ごと部屋を出て行く。部屋の扉は開けられたまま。入れ替わりに猫が入ってくる。猫は部屋のベッドの上で丸くなる。
 しばらくして、その部屋に妻と一緒に見覚えのある男が入ってくる。猫はその男の存在に気づいているのかいないのか、よくわからないがじっとしたままだ。
 そして、二人でパズルを始める。二人は寄り添い語り合いながら穏やかな時間を過ごす。パズルが完成に近づいた頃、妻がピースがひとつ足らないことに気づく。辺りを捜してそれでも見つからないと、「子どもたちのせいかもしれない」と諦めたかのように呟く。


 しかし、それは違う。確実にカメラは捉えていた。――残りひとつのピースを、男がポケットの中に隠すところを。

 そしてそのピースは今もずっと、男のポケットの中で眠っているのだろう……。


 疑うことで解決への道筋が見えてくる。しかし、信じることが大切だと謳う者もいる。そのふたつを天秤にかけたところで、揺らぎ方は人それぞれなのかもしれない。
 ただ、今の世の中、他人を疑うことで秩序が保たれていると言ってもいい。法律、警察、医者、そして夫婦だって。

 私は額の汗をぬぐい、自分のポケットから残りひとつのピースを取り出して、未完成のパズルにはめ込んだ。

 ひとつ言っておく。私は、平和主義者である。
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