十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『声、届かずとも』

その後ろ姿は栞にそっくりだった。

暗がりに紛れる白い浴衣は、重次の目には提灯の灯りよりも目立って見えた。

栞は闇に誘われているかのように喧噪から離れていく。気にせずにはいられなかった重次は、仕事のことも忘れてその白い浴衣の影を追った。

境内の奥には本堂を丸々縮小したような小さな社がある。そこにある両手で収まるほどの賽銭箱にお金ではなく、願い事を書いた紙を入れると願いが叶うという話があった。しかし、それは幼い少年たちのおまじないのようなこと。それを素直に信じる大人たちは少ない。

やはり栞はその社の前に立っていた。そして、その賽銭箱に一枚の紙を入れて手を合わせている。声をかけるべきか重次は悩んだ。まだそこにいるのが栞だという確信が持てなかったからだ。

すると栞が何かの気配に気づいたかのように突然振り返った。その顔にはプラスティックの面を被ってはいたが、顔を左右に動かして明らかに怯えている。いや、泣いているようだった。

膝を曲げその場に蹲ってしまった栞に、重次は意を決して近づいた。

「栞だよね。大丈夫? どうしてこんな所に一人でいるの?」

重次の顔を見上げる面は、微かに笑っている狐ではあったが、その二つの穴から見える月明かりを反射する瞳は、確かに涙で滲んでいた。

「……ごめん。わたし、やっぱりできそうにない」

なぜ謝る。できそうにないとはいったい何のことを言っているのか。

重次が再び栞に問い質そうとした時、やおら立ち上がり目の前にいる重次を無視してその場から立ち去ろうとした。

まだ何も聞けていない。
透かさず重次は栞の腕を掴もうとするが、空振りに終わる。そしてそのまま追いかける間もなく栞は来た道を戻って行ってしまった。

ふと重次は、先ほど栞が小さな賽銭箱に入れていた紙が気になった。社に近づき賽銭箱を覗く。そこにはたった一枚だけ白い紙が入っていた。ちょうど表が上になっていてそこに書かれている文字が見えた。


“今すぐ、重次に会いたい。”


こんな願い、叶わない方が良いに決まってる。しかし賽銭箱に入れられた紙を取り出して、破り捨てることはできない。

再び栞を追いかけようとした重次は、一歩踏み出す前に糸で背中を引っ張られたかのように一瞬思いとどまった。

――いや、もう叶ったとも言えるのではないだろうか。

そうだと信じ、あの栞の言葉も信じるしかなかった。

その日の祭り囃子は、いつもより重次の耳に残った。
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