十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『囮の鮎の化かす様』

山間にある緩やかな河川で、鮎釣りをしている釣り人がいました。その釣り人が最初に釣り上げた鮎が瞳を濡らしてこう言いました。

「お願いです。どうか見逃してはくれませんか」

釣り人は頭を悩ませます。これまで釣り上げてきた魚の中に、許しを請う魚は初めてでした。大抵は身を翻したり飛び跳ねたりして釣り人の手から逃れようとしていたからです。

折角釣り上げた鮎を逃がすのは惜しいと考えた釣り人は、友釣りを行うことに決めました。

「どうしても見逃してもらいたいのなら、身代わりとなる鮎を釣らねばならん。お前にその役を担ってもらうぞ」

「ありがとうございます! 私、頑張ります!」

釣り人はその鮎に掛針を付けて、澄んだ河川に戻しました。すると早速、縄張り意識の強い鮎が囮の鮎に近づいてきました。

「おい、お前。ここは俺の縄張りだ。出て行け」

その言葉に、囮の鮎は尾びれを大きく広げて言いました。

「お願いです! 私に近づかないで下さいっ!」

「なんだ。そこまでしてその場所を譲るつもりはないのか」

「違います。私には釣り針が刺さってます。だから私に近づけば、あなたも人間に釣られてしまいます」

「なに、それは本当か。しかしなぜそれを教えてくれる? お前に何か恩でも売ったか?」

「いいえ、そういったものは一切ありません。私はただ、同じ仲間を守りたいだけなんです」

「ならば了解した。他の者にもこの辺りは危険だと伝えよう。必ずや応報を受けるだろうとも」

そう言うと、その鮎は囮の鮎から離れていきました。

しばらくすると、新たな鮎が釣れないことに痺れを切らした釣り人が、囮の鮎を手元に戻して問い質しました。

「おかしいなあ。俺の技術が劣ったのか。それとも今日は運がなかっただけなのか」

「……すみません」

囮の鮎は芝居気にそう謝ると、透かさず囮の鮎は釣り人の一瞬の隙を突いて身を翻し、釣り人の手から逃れてました。そして去り際にこう言いました。

「お互い、今日の運勢はよくないようですね」
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。