十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『瞹眛喫茶』

休日の昼下がり。時間を持て余した僕は、新しく引っ越してきた町を知ろうと散歩がてら住宅街を歩いていた。すると、家と家の間に無理矢理押し込んだように佇む喫茶店を見つけた。

外観は特別異彩を放っているようなことはなく、他の一軒家と何ら変わりない。大きな看板が置いてあるわけでもないのに、僕がこの喫茶店を発見したのは、本当に運が良かったのかも知れない。お店の入り口には門柱があり、そこに表札のように《喫茶店》と書かれた札が掲げられているだけであった。

吸い込まれるように僕はお店の中に入った。
店内は薄暗く、しかし怪しい雰囲気ではない。のんびりと瞑想できるような落ち着ける空間というのが第一印象。
見たところ、カウンター席が3つ、いや5つ。そしてテーブル席が1つ、いや2つだろうか。確かに席のように見えるが、お客側の立場として、それがお客が座っても良いものなのか判断しかねる席がいくつかあった。
カウンターの向こう側にはこのお店のマスターとおぼしき白髪の紳士が一人。いらっしゃいませと声をかけることもなく、僕と目が合うと小さく頷いただけであった。とりあえず私は一番近くにあったカウンター席に腰掛けた。マスターは何やら黙々と手元で作業をしているが、椅子に腰掛けだ状態では窺い知ることはできなかった。わざわざ覗き込むのも憚られたので、僕の手元にあったメニュー表に目線を移した。

そこに書かれていたのは、あまりにも瞹眛なメニューであった。


~メニュー~
珈琲のようなもの
紅茶のようなもの
緑茶のようなもの
菓子のようなもの

店主のお薦め


《~ようなもの》というのいったい何なのか。この瞹眛さが、僕のこの喫茶店に持つ印象を恐怖に似たものへと変化させた。それに《店主のお薦め》という文字だけが、目立つように赤い字書かれている。ただ、店の中に入り席に座ってしまったのだから、何も注文せずに帰ることはできない。
ただ、僕は注文する前に今一度店内を見渡してみた。するとよく見ると、マスターの背後には怪しげな黒いカーテンがあり、奥に何やら別の空間が存在しているようだった。それに気づいた瞬間、僕の脳裏にはいかがわしい想像ばかりで溢れた。

前言撤回、僕は今すぐお店から出ることを決意した。
できる限り音を立てないように腰を上げ、出入り口の扉に近づいた時「すみません」と低い声で呼び止められた。

僕は背中を急に引っ張られたかのように立ち止まり恐る恐る振り返ると、マスターが僕の方を見つめていた。

「お客様、次回のご来店の際には、思い人のような方とのご来店をお薦め致します。その際には、本日よりも良いサービスをご提供させていただきます」

マスターの言葉に首を傾げながら僕は店を後にした。しばらくしてから僕は自分のシャツの胸ポケットに二つ折りのカードのようなものが入っているのに気づいた。そこには《瞹眛喫茶》という店名とともに千円札が挟まれていた。折られた部分を広げると、マスターからの言葉が綴られていた。

《私からのお気持ちのようなものです。》

反社会的な行為に手を染めてしまったかのような恐怖と、異空間の空気に当てられた好奇心とが複雑に混ざり合って、僕をその千円札を近くのごみ箱に捨てるという行為に迫らせた。


ただ、自分の財布からお札が一枚減っていることに気づいたのは、再び《瞹眛喫茶》を訪れた時だった。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。