十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『帰るの負う様』

今回は『蛙の王様』ではなく、『帰るの負う様』です。


仕事終わりに酒を飲む。それが社会人のルールだ。

いや違う。
IT企業という光沢のある薄い膜のような会社に付着する私は、その膜の中で気持ちよさそうに包まれている上司に肩を抱かれ、ネオンサインに彩られた夜道を歩きながら屈託していた。
仕事の疲れがお酒によって癒やされるのは、一部の酒乱たちのくだらない言い種である。むしろ年を重ねた老いぼれこそ、まっすぐ家に帰り睡眠を取った方が疲れは取れるはずだろう。

堰板を外したように日頃の鬱憤を聞かされる。避けては通れない道だと諦めている人もいるが、私は違う。ネオンサインを抜けた先には静寂に包まれた帰り道が存在する。そこに向かって歩みを止めるつもりはなかった。

当然、帰れたとしても、それ相応のリスクは伴う。信頼は薄れ、人間関係には飽和しきったシャボン玉のようになる。割れてしまえば仕事も続けられなくなるだろう。

ただリスクを恐れていては帰ることはできない。

まず、絡まる上司の腕から逃れ一歩下がる。そして一言「帰ります」というのだ。

相手は一瞬ふいを突かれた様子になる。そこから「いやいや」と、もう一度腕を絡めてこようとした瞬間に頭を下げるのだ。たとえ掴まれたとしても、先手を打っておけば容易に振り解くことはできよう。
但し、ここで注意しなければいけないのが、一瞬たりとも躊躇してはいけないということ。その躊躇いが、大きな隙を生み、帰ることができなくなってしまうのだ。

頭を下げた状態のまま歩き出す。上司の声に応えてはいけない。人混みを分け入るように歩いて行き、喧噪を抜ければ成功だ。


この日も私は成功した。これでこの会社ともおさらばだ。私は職場を変えるごとに、このリスクと戦ってきた。だから今までに何度も割れたシャボン玉を見てきた。

ゴム製の風船とは違い、シャボン玉は割れた後、跡形も消えてなくなってくれるから好きだった。
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