十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『怒り憩う』

私の同期であるJは、不器用でよく仕事で失敗をする人だった。

小さな町工場で働く私たちは、小さな部品を製造する仕事を毎日行っている。まだ新人の私たちは、工場長や先輩たちに直接教えを請いながら働いていた。

その中でもJは、人一倍仕事を全く覚えるのが遅かった。技術を求められる仕事は慣れるまで時間はかかるもの。しかし、Jはかかりすぎだった。それは同期の私が見ても明らかだった。

失敗をする度に工場長や先輩たちから叱責を受ける。Jはすぐに「すみません」と頭を下げるのだが、先輩の気づかないところで小さく文句を吐いていた。何て言っているのかはわからない。それでも口元を見れば悪魔が囁くようにぶつぶつと言葉を吐いているのがわかる。

もうJの導火線には火がついていて、いつか爆発してしまうのではないか。あるいはJのその態度が先輩に気づかれて逆鱗に触れてしまうかも知れないということを、私は恐れていた。

仕事が休みの日、私はJを食事に誘った。もちろん先輩などはいない。Jの話を聞いて、少しでもその導火線の火を沈めることができないかと模索した結果、そうすることにしたのだ。
こうした食事は初めてではない。元々Jは人当たりの良い人間だった。同年代や後輩には好かれるタイプなのだと思っていた。馬が合う。そう感じていた私とJは、当初は何度も食事をしていた仲でもあったのだ。Jの仕事での失敗が目立つようになってからは、互いに食事に誘うのを敬遠していた節もある。私にとっては、以前のように戻れたらという願いもあっての今回の食事でもあったのだ。

お酒が進み出すと、Jは呪文のように工場長や先輩たちの文句を吐いていった。頬を赤らめ頭には角を生やしていた。
私はそれを邪魔しないようにただ受け止めるだけに専念した。Jの話し相手になることでJが抱えるストレスを吐き出せる受け皿となれれば良かった。言葉の内容は頭に止めず聞き流す。丁度いいタイミングで相槌を返してあげることだけに集中する。

しばらくすると、酔いの回ったJは言葉数が少なくなり、うとうととし始めた。私は「そろそろ帰ろうか」と言い、ふらつくJを支えながらお店を出た。

道でタクシーを捕まえてJと一緒に乗り込む。車内でJはまだ吐き出したりないのか、目を閉じながら口元を小さく動かしぼそぼそ声を漏らしている。普段は聞けないその言葉。何と言っているのか気になった私はJに近寄り口元に耳を近づけた。

その時、私とJの肩がぶつかり、その反動でJの身体は力なく倒れ、Jの頭が私の膝の上に乗っかった。

見ると、Jの口元はもう動いていない。私もしばらく動けずにいた。他人の頭が自分の膝の上に乗るのは初めてだった。自分の心臓の音だけが烈しく聞こえる。

タクシーがJの自宅近くに着いた時、なんとか私はJを起こした。そして去り際にJは、私に気を遣うような素振りは一切見せずに「まだまだ吐きたりないや」と言った。

Jのその頬は元の血色に戻ってはいたが、まだ角は生えているようにも見えた。
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