十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『おかしな家』

 これは、初めて友達の家に遊びに行った時の話である。

 彼女の名前は『あめ』と言い、みんなから『あめちゃん』という愛称で呼ばれていた。だから、私も彼女のことは『アメちゃん』と呼んでいたのだが、今後は軽々しく、その愛称では呼べないだろう。

 あめの家は、住宅街から少し離れた場所にあり、家の周りは高い木々で囲まれ、まるでわざと見つからないように隠して建てたかのようだった。

「夢の国みたいでしょ」とあめは微笑んだが、私には不気味にも感じていた。

 まだ昼間だったから良かったものの、もし夜に遊びに行ったら、家の周りに街灯はなく、あめの住む家の窓から見える光だけしかなくなる。外から見たら、さぞ妖しい雰囲気になるだろうと想像したからだ。

 ただ、家の外観はとても綺麗で、不気味さは感じなかったが、同時に夢の国のような好奇心も沸いてはこなかった。それでも、あめは私に見せたいものがあるか何かで、とても気分が高まってるご様子。

 家の中に入った瞬間、ハチミツとキャラメルを混ぜ合わせたような香りが鼻を襲った。

「すごい…」

 思わず私がそう言葉を漏らすと、あめはニコッと悪戯に微笑む。そしてリビングに私を案内して、椅子に座って待つように言った。

 しばらくすると、キッチンの方からあめが大きな鍋を持ってきた。もうその時点で、その中身がとてもとても甘いもので作られた“何か”と言うことは、その鍋から漂う香りで容易に判断できた。

「さあ、召し上がれ!」

 オレンジ、いやパープル? もうその色を判断する色相の知識が私には無かった。それに甘い香りは、脳髄を溶かしてしまいそうなくらいにきつい。

 器に盛られた“何か”は、まるで生きてるかのように、私に訴えかけてくる。「食べちゃダメ」って。

「ごめん、ちょっとお手洗い借りても良い」

 少し考える時間がほしかった。この場をどう逃げ切るかを。

 家の中に入ってしまった時点で、そう簡単にあめも私を逃がしてはくれない。それでもあの“何か”を口にすることだけは、避けたかった。いや避けなければ命に関わるかもしれなかったのだ。

 教えてもらったトイレに向かう間、いくつかの部屋の前を通った。どの部屋からも甘い香りが漂い、しかも全て種類の違う香り、この家はお菓子で作られているのかと疑いたくなるくらいだ。
 そしてトイレの中に入った私はまず、携帯電話を取りだしたが、案の定圏外。トイレに備え付けの窓はなく密閉されている。ここまで来る間の廊下にも窓硝子のようなものは見つからなかったので、恐らくこの家の出入り口は玄関のひとつだけ。それを悟った時の絶望感は、今でも脳裏に焼き付いている。

 何一つ良案が思い浮かばないまま、私は時間の限界を感じ再びリビングに戻った。

 すると、先程まであった“何か”とあめの姿が綺麗に無くなっていた。あめの名前も呼ぶも、返事がない。不思議に感じつつも、今が最大のチャンスと思い、私はすぐに玄関へと向かった。

 扉を開け外に出ると、いつの間にか雨が降っていた。

 だけど、おかしい。

 空を見上げれば、オレンジ色の夕日も差していた。その光に反射して降る雨粒は、まるでべっこう飴のような色をしていた。

 唇に触れたその雨粒を舐めてみると、気のせいかもしれないが、ほんのり甘さを感じた記憶がある。

 私はその日以降、約20年間、あめを見ていない。彼女はいったいどこに行ってしまったのだろうか。そしてあのおかしな家は、まだあそこにあるのだろうか。

 でも、もう二度と、甘い香りに誘われないと、私は誓っていた。
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