十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

レビュー 『向日葵の咲かない夏』

 さて、今月に入りまして当ブログ「十文字掌編小説ぶろぐ」は丸3年が経ちました。
 毎年それを記念して様々な記事を書いてきましたが、3年経った今回は私がオススメする小説を紹介したいと思います。紹介ですので、あらすじに私なりのレビューを書かせていただきます。
 以前にも似たような記事は書きましたが、今回は物語の内容にも触れネタバレ無しで、ぜひ皆さんに読んでいただきたい小説をご紹介します。あくまでも未読の方に向けて、参考程度に、です。

『向日葵の咲かない夏』 道尾秀介
向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)
(2008/07/29)
道尾 秀介

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一学期の終業式の日、欠席したS君にプリントを届けるためにS君の家を訪れたミチオ。声をかけても応答がなく、中に入ってみると、きい、きいとおかしな音がした。S君はいた、自分を見下ろして。呼んでも返事がなく、よく見ると、S君の首はロープに繋がっており、足は地に着いていなかった。S君は首を吊って死んでいたのだ。

急いで学校に戻り、担任の岩村先生に伝え、ミチオは一旦家に帰される。その後、岩村先生と2人の刑事が家に来るが、ミチオにもたらされたのは、“Sの死体なんてなかった”という知らせだった。「嘘じゃない、確かにS君の死体を見た」と懸命に主張し、結局行方不明事件として捜査されることとなった。

それから1週間後、ミチオの前にS君があるものに姿を変えて現れ、“自分は殺されたんだ”と訴える。ミチオは妹のミカと共に、S君を殺した犯人を探すこととなる。――Wikipediaより引用




 まず、道尾秀介という作家についての私なりの解釈は、ミスリードの天才。そして物語の解釈を読者に委ねる。というのがあります。
 前記は初期の作品に多く見られ、この作品の他に、『片目の猿』『カラスの親指』なども、上手く読者を騙してきます。私もまんまと足をすくわれました。後記に至っては作品全般に見られ、よく文庫化した際の解説に道尾秀介氏自身もそれを読み、楽しんでいるように思えました。
 そしてこの『向日葵の咲かない夏』は、その二つの要素が最大限に活用されている物語と言って良いでしょう。
 あらすじを読んで、多くの方の目が止まるであろう箇所は文末の、「“自分は殺されたんだ”と訴える」という部分でしょうか。前半部分を単純に解釈すると、主人公のミチオがS君の自殺した死体を見つけ報告するが、先生や刑事が駆けつけた時には死体が消えてしまい、そのなぞを解き明かしていく。ちょっとした少年探偵物語のようにも思えます。
 しかし、実際は全く違います。さらに言えば、道尾秀介氏を名前だけ知っているという人は、おそらくミステリー作家と捉えている人が多いと思いますが、それもまた違います。
 ミステリーの概念という部分まで手をつけてしまうと話が長くなってしまいますので、ここでは割愛。一般的にミステリーの捉えたかとして、探偵が事件の謎を解く(あるいはそれに類似する役割を持った人物が行動する)物語だと思います。ならばこの物語も死体が消えその謎を解くという構図に当てはまると思えますが、例えそう思って読み進めていってしまうと、多くの方が裏切られます。しかも悪い意味で。そして読んでいた本を投げ出したくなるやもしれません。
 だから私から言っておきます。決してこの物語を単純なミステリー小説だと思って読まないでいただきたい。特にミステリー好きの方々には。
 正直、この物語は内容だけ見るとミステリーというよりホラーです。その辺り、読み進めていく際はご注意ください。
 私がこの作品で感銘を受けたのは巧みな伏線の数々でした。伏線というのはミステリーに限らず恋愛小説などにも用いられる技法です。しかし、ここまで見事に張られた伏線にミスリードされてしまう。まさに自分の目を疑います。
 道尾秀介氏は常々「小説にしかできないこと」を掲げて創作しています。この作品はまさにそれを体現していると言って良いでしょう。

 少年ミチオが体験するひと夏の物語。ひとつだけ咲かない向日葵。あなたは生まれ変わりを信じますか?

 最後に、『向日葵の咲かない夏』について補足をします。
 この作品はオリコン2009年、年間文庫本総合部門において最も売れた本として100万部を越えるベスセラーになっております。
 是非皆さん、このミステリーの概念を壊すような物語を、読んでみてはいかがでしょうか。
 ――では、よい読書日和を。
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