十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『暗がりから牛を引き出すには』

 時刻は丑三つ時。牛飼いの青年は困り果てていました。

 それは先程小屋で飼っていた黒牛の一頭が、突然暴れ逃げ出してしまったのです。実はその日の昼間に、その黒牛は闘牛大会に出場して負けてしまっていました。おそらくそれが原因です。

 その逃げ出す音に気づいた青年は、急いで黒牛を追いかけました。
 すると黒牛は小さな洞穴に入っていきました。中は真っ暗で月明かりも届きません。興奮している黒牛はとても危険です。なので青年は不用意に洞穴の中に入ることが出来ませんでした。
 どうしたものでしょうか。このまま朝が来るまで待つのか、それとも一度小屋に戻り縄を持ってくるのか。縄がなければ暴れる黒牛を抑えることは出来ませんが、戻っている間に、黒牛がどこかに行ってしまう恐れもあります。

 青年は考えます。ちょうど今、洞穴の中は大きな物音はせず、耳を澄ますと黒牛の息づかいが僅かに聞こえて来る程度でした。このまま落ち着いてくれれば、これ以上刺激しないように朝まで見守ることが出来ます。もしかしたら黒牛自らが洞穴から出てきてくれるかもしれません。青年はしばらく見守ることにしました。

 しかし、そう話はうまくいきません。突然洞穴の中にいた黒牛が何かに驚いた声を発したかと思うと、その後急に水を打ったように静かになりました。

「おい、どうした?」

 青年が声をかけるも、反応がありません。もう一度、少し声量を上げて青年が声をかけてみると、思わぬ声が返ってきました。

「うるさいな、オイラはここらか出ないぞ」

 それはとても低い野太い声でした。声の主も気になりましたが、青年は三度声をかけます。

「お前は黒牛か? どうしてそこから出ない?」

「出ないと言ったら出ないのだ。オイラをここから出したかったら頭を使うんだな」

 青年は考えます。彼の気持ちを少しでも和らげねばと。そして言いました。

「お前は強い。今日負けたのだって、たまたま相手の調子が良かっただけだ。気に病むことはない。次、今度は相手の角へし折ってやろうぜ」

「いいや、オイラには無理だ。今日の一戦でオイラの角が折れそうになって、今でも軽くぶつかるだけで痛いんだ。こんな角じゃ戦えない」

 これほど弱気になった黒牛を、青年は初めて見ました。しかし、このまま放っておくわけにもいかないので、青年は改めて考え言葉をかけました。

「なら、ずっとそこにいるといい。戦えなくなったお前は、人に食べられるただの家畜になるだけだ」

 すると青年の言葉が響いたのか、ゆっくりと洞穴の暗がりから黒牛が出てきました。
 どうやらだいぶ反省したようです。よく見れば黒牛の角はすでに痛々しく折れてしまっています。その姿はもう威勢の良い闘牛とは判断しにくいものでした。

 ただ、暗がりから牛を引き出すには、尾を引いてやるのが良いみたいです。
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