十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

『ペンディング探偵の生き甲斐』

暗がりで女性の後を追っている後ろ姿は、まるでストーカーだ。
しかしあの人は、そんな私利私欲に塗れ、自我の欲求のためだけに他人を恐怖に陥れる人物ではない。
人の悩みや問題を解決する探偵、それが龍穂(りゅうほ)さんの仕事だ。

探偵といっても、龍穂さんは小説のような殺人事件を解決したことはない。もっぱら不倫調査か人捜し。ただ、たいした功績をあげているわけではない。平凡な私立探偵だ。

今日は、とあるマンションの前で野宿だという。夜食を買ってきてくれという連絡を受け、事務所の受付をしている私は、龍穂さんの元へ向かったのだ。

「あんパンでよかったですか?」

「十文字ちゃん、僕は別に刑事に憧れているわけじゃないんだから」

「すみません」

「いいよいいよ、元気百倍ってなるかもだし」

今回の案件は、不倫調査。不倫の疑いがある妻を調べてほしいとのこと。すでに龍穂さんは妻のTと不倫相手の男Sが食事をして、男の住むマンションに二人で入っていく現場を押さえていた。
後は、朝出てきたところの写真を撮れば仕事は終わる。

「ところでバイキンマンは、アンパンマンをやっつけることを生き甲斐にしてるんだって」

「そうなんですか」

「ということはだよ。バイキンマンがもしアンパンマンをやっつけちゃったら、バイキンマンは生き甲斐を失う事になるんだよ。だからバイキンマンは、毎回アンパンマンをやっつけない案配をわきまえているんだ」

龍穂さんが言いたいことが見えてきたので、私は敢えて私の口から言った。

「つまり、保留してるってことですか」

「そうそう。十文字ちゃんもわかってきてるじゃん。あれは保留合戦なんだなあ」

何か思いふけている龍穂さんは、それからしばらく間を置いて「よし」と膝を叩いて立ち上がった。

「今回はここまでだね」

「え、またですか」

「うん。だって眠くなっちゃったんだもん」

龍穂さんは、仕事を中途半端に辞めてしまう人だった。お坊ちゃま育ちだからだろうか。この性格ではサラリーマンは務まらないだろう。
よって、その後処理はアルバイトである私の仕事。龍穂さんから調査内容を聞き、データをまとめ依頼人に報告する。時給が高いから続けているものの、長い目では見られない仕事ではあった。

「わかりました。それじゃ資料とカメラ渡してください。後はやっておきますんで」

「悪いね十文字ちゃん」

言葉とは裏腹に、全く悪びれる様子もなく龍穂さんは笑った。

それからしばらくして朝日を迎えた。マンションの出入り口からTと時間差でSが現れたので、しっかりと写真に収めた。
すると丁度、龍穂さんから着信が入った。

『おはよう、十文字ちゃん。写真は撮れたかい?』

「はい。撮れましたよ。これからどうします?」

『そうだね。いつも通り依頼人に渡しておいてもらえるかな』

「……わかりました。ところで龍穂さん、これって不倫って言えるんですかね」

私の問いは的外れだったのだろうか。龍穂さんが答えてくれるまで、しばらくの間が空いた。

『名目上はそうだけど、これは、あれだよ……』


――ペンディング探偵。龍穂さんにはそんな呼び名があった。
その理由は依頼人が皆、亡くなった人だったからだ。今回もそう。集めた資料と写真は、依頼人の墓石へと供える。そういう契約だ。もちろん契約は生前に行っている。よって依頼が完了することはしばらくない。つまり保留するのだった。

依頼人から信用されていなければ、こんな商売成り立たないだろう。計り知れない人徳が、龍穂さんにはあるのだ。

通話が切れる直前の声は、だんだんと遠く離れていくような感じだった。

『保留合戦だよ。それじゃ、ばいばいきん』
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