十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

2014年07月の記事

『グレーな薔薇色』

いつのまにか、薔薇色の青春を味わうことの無いまま僕は大人になってしまった。しかしそのことについて焦ったこともなければ、後悔したこともない。

ただ人生は長いようで短い。一度くらいそんな経験をしてみたいという気持ちは、心の片隅にあったのだ。それがまさか、あの《瞹眛喫茶》で味わうことになるとは思ってもみなかった。



相変わらず僕は、カウンター席で文庫本を片手に紅茶のようなものを口に運んでいた。
この街の喧噪から百歩ぐらい離れた深々とした空間。ここをプライベートルームのように利用していた。だから、接客ということをほとんどやらないマスターが、唐突に「いらっしゃいませ」と言葉を発した時には、心臓が一瞬大きく跳ね上がった。

僕以外の客と会うのはそれが初めてだった。入り口を背にして座っていた僕は、恐る恐る振り向くと、そこに立っていたのはまさに絵に描いたような美人であった。無口なマスターが挨拶をするのも無理ない。しかし、僕とその女性とで態度が違うことに嫉妬してしまった自分がいた。

その女性はマスターに軽く会釈すると、慣れた様子で僕から離れたテーブル席に腰を下ろした。すると、透かさずマスターが性能の良いロボットのように女性にティーカップを運んだ。

僕はもう、その時にはマスターの行動に嫉妬するというよりも、女性に対しての意識が強くなっていた。直視するのは失礼だろうし、カウンターに向かっているのだから不自然な姿勢になってしまう。

背中で女性の存在を感じながら、ただの蟻の行列と化したページを捲っていると、ふいに目の前にいたマスターが掃かれた煤のように黒いカーテンの奥に姿を消した。

なぜマスターが姿を消したのかはわからない。そのことについて今すぐに深く考えることは避けた。
そしてマスターが姿を消してから随分と時が経った。いや、そう感じているだけで、実際は数分程度だろう。しかし僕のティーカップの中は空っぽ。店内には僕とその女性だけ。

僕はもう我慢できずに、恐る恐る首を回して女性の方を見た。すると女性の方も僕のことを見ていた。その視線は二人が同時に互いを見つめたというのではなく、女性はずっと僕に視線を向け続けていて、ようやく視線が合ったというものだった。

更にだ。その女性は優しく微笑みながら僕に手招きをしてきた。その誘いに、どう動けば良いのか思考を普段の何倍も働かせた僕は、結局椅子から立ち上がりゆっくりと女性に近づいていった。

自分の鼓動が相手に伝わらないようにするのが精一杯だった。

僕が近寄ると、女性は目線だけで僕に向かいの席に座るように指示した。僕は素直にそれに従い腰を下ろすと、再び女性が僕に向かって手招きをした。上体だけで女性に近づく。すると、急に女性の方から僕に向かって顔を寄せてきた。

そして頬を赤らめている僕に、その女性は透き通った声でこう言った。

「If you want to be happy, be.」

微笑む女性の長い睫毛の隙間から見える大きな瞳は、綺麗な灰色だった。
スポンサーサイト

『囮の鮎の化かす様』

山間にある緩やかな河川で、鮎釣りをしている釣り人がいました。その釣り人が最初に釣り上げた鮎が瞳を濡らしてこう言いました。

「お願いです。どうか見逃してはくれませんか」

釣り人は頭を悩ませます。これまで釣り上げてきた魚の中に、許しを請う魚は初めてでした。大抵は身を翻したり飛び跳ねたりして釣り人の手から逃れようとしていたからです。

折角釣り上げた鮎を逃がすのは惜しいと考えた釣り人は、友釣りを行うことに決めました。

「どうしても見逃してもらいたいのなら、身代わりとなる鮎を釣らねばならん。お前にその役を担ってもらうぞ」

「ありがとうございます! 私、頑張ります!」

釣り人はその鮎に掛針を付けて、澄んだ河川に戻しました。すると早速、縄張り意識の強い鮎が囮の鮎に近づいてきました。

「おい、お前。ここは俺の縄張りだ。出て行け」

その言葉に、囮の鮎は尾びれを大きく広げて言いました。

「お願いです! 私に近づかないで下さいっ!」

「なんだ。そこまでしてその場所を譲るつもりはないのか」

「違います。私には釣り針が刺さってます。だから私に近づけば、あなたも人間に釣られてしまいます」

「なに、それは本当か。しかしなぜそれを教えてくれる? お前に何か恩でも売ったか?」

「いいえ、そういったものは一切ありません。私はただ、同じ仲間を守りたいだけなんです」

「ならば了解した。他の者にもこの辺りは危険だと伝えよう。必ずや応報を受けるだろうとも」

そう言うと、その鮎は囮の鮎から離れていきました。

しばらくすると、新たな鮎が釣れないことに痺れを切らした釣り人が、囮の鮎を手元に戻して問い質しました。

「おかしいなあ。俺の技術が劣ったのか。それとも今日は運がなかっただけなのか」

「……すみません」

囮の鮎は芝居気にそう謝ると、透かさず囮の鮎は釣り人の一瞬の隙を突いて身を翻し、釣り人の手から逃れてました。そして去り際にこう言いました。

「お互い、今日の運勢はよくないようですね」

『しつこく』

「兄者、どうのようにすればうまくいくとお考えで?」


「弟者よ、つまらん冗談はよせ。こちとら、初めから真剣に挑んでおるのだぞ」


「しかし兄者、もう何度目ですかい。うまが合わないにもほどがありますゆえ」


「弟者よ、お主はまだ若いから儂の気持ちなど到底解るまい。それにだ、つまらん冗談はよせと言っておろうが」


「……確かに解りかねます。ですが、このままではもう私は付いてはいけませんぞ。老いたる馬は道を忘れずといった言葉もまやかしか」


「弟者よ、しばしの間口を挟まんでくれ。気が散るばかりか、尻も痛とうなってきたわい。それとお主の執念深さには感服したぞ。儂の武勇伝すら霞んでしまう」


「努々そんなことはありません。兄者がこれまでに築き上げてきた勲功たるや、むなしく馬齢を重ねてきた私とは天と地ほどの差がございます」


「ぬっはっは。もう御免だ。お主の冗談は尽きることがなさそうだ。故に儂の馬術の衰えは素直に認めざるを得んことだな。――騏驎も老いては駑馬に劣るのだろう、弟者よ」


「ようやくうまいこと言えましたな、兄者」

『思い人のような』

文庫本を片手に、僕は《紅茶のようなもの》を口に運んでいた。
これは、紅茶であることは確かなのだが、経験のない香りが鼻を通り、味わったことのない風味が舌を包む。言葉で表現するのが難しい。まさしく《紅茶のようなもの》であった。

瞹眛喫茶に通い始めて三ヶ月が経とうとしている。マスターの趣味が手品であり、自分以外にほとんどお客が来ないという情報は得ることができた。僕はこの喫茶店に週に一度ぐらいのペースで通い、その度に、この不思議なメニュー表から飲み物だけを注文してきたのだが、僕は今日、初めて《店長のお薦め》を注文しようと決めていた。

なぜこれまでに注文しなかったというのには理由がある。正確に言えばできなかったのだ。
前に一度、マスターに「店長のお薦めって何ですか?」と訊ねたことがある。しかしその時は「大変恐縮ですが、そちらのメニューは思い人のような方とご一緒の時でしか、ご注文を承ることができません」と言われてしまったのだった。

当時の僕には、その思い人は存在しなかった。当然今でもいない。しかしマスターは《思い人ような方》と瞹眛な表現を好む人だ。例え僕が連れてきた人物が《思い人》ではなくても《思い人のような》人物であれば問題ないのではないかと考えたのだ。

多少の不安を抱えながら僕は、カンターの向こう側にいるマスターに向かって言った。

「すみませんマスター、店長のお薦めを頂けますか?」

するといつものように動かしていた手元の動きを止め、僕と向かい合った。そしてマスターは僕から視線を逸らし、僕が連れてきた《思い人のような方》を一瞥してから言った。

「確かに、お客様の思い人のような方でいらっしゃるようで。――お待ちしておりました。では少々お待ち下さい」

手品を披露する前の時のような嬉しそうな笑みを見せて、マスターは背後にある黒いカーテンの奥へと姿を消した。
しばらくして姿を現したマスターの手の中には何もなかった。

「お客様、《あいまい》という言葉をご存じですか。《愛》を《未だに》知らない《二つ目》と書いて《瞹眛》と読みます。当店におきましては、そのようなお方にとって最も優先されるべき憩いの場を提供するのがエンティティ。本日はお客様の思い人のような方をオーセンティックとしてお迎えいたしますとともに、私からのプレゼントをお受け取り下さい」

そう言って、マスターは手品のようにあるもの出現させ、それを僕に渡してきた。

「裸ではお肌が傷つきますゆえ」

僕はそれを受け取り、素直にお礼を言った。そして側にある夏目漱石の『こころ』に、マスターから頂いたそのブックカバーをつけた。

『まとめ記事②』

2014年4月から6月までの記事まとめです。月五回の更新の目標が達成できず、不徳の致すところでございますが、最低でも月三回の更新は守っていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

◆オマージュ
『帰るの負う様』……帰りは飛んで帰れたらいいですよね。あ、でも蛙は飛ぶのではなく跳ぶんでした。
http://kairotto.blog.fc2.com/blog-entry-29.html

◆フェーブル
『サルの芸事』……批判も賞賛も、心得ている相手からであれば喜ばしいものです。
http://kairotto.blog.fc2.com/blog-entry-33.html

◆ミスリード
『蜘蛛の巣後光』……都合のいいように信じる。でも感謝は忘れない。
http://kairotto.blog.fc2.com/blog-entry-36.html

◆リトルホラー
『怯え鳴く聲』……足に残った衝撃は、今でも残っています。
http://kairotto.blog.fc2.com/blog-entry-32.html

◆レトリック
『浮かない空気』……薬に頼らない生き方が理想です。
http://kairotto.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
『瞹眛喫茶』……マスターは紳士であり、悪戯好きでもあります。
http://kairotto.blog.fc2.com/blog-entry-35.html

◆エスプリ
『もれなくどうぞ』……悪因悪果、因果応報。
http://kairotto.blog.fc2.com/blog-entry-30.html
『あんずるべき』……深入りすべきではないことにまでいってしまう人って、近寄って欲しくはないけど貴重な存在なのかもしれない。
http://kairotto.blog.fc2.com/blog-entry-34.html

以上です。
7月からはTwitterの方でも、余暇を見つけて日々感じたことをつぶやいていこうかと考えております。相互フォローもいたしますので、よろしくお願いします。