十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

2014年02月の記事

『記憶にない』

ある日、我が家で祖父の形見でもある日記がなくなった。その日記には、晩年の祖父が日々の日常を綴ったものが記されているだけの、他人にとっては何の価値もない代物だったらしい。しかし祖母にとっては祖父との思い出、残された宝物とも言えるもので、大切に文机の引き出しに仕舞っておいたのだという。

その晩、すぐに父が家族全員を集め、それぞれに祖父の日誌について問いただした。

「確かに昨日まではあったの」と祖母。
「お父さんの部屋は昨日掃除しましたけど、机の中には触れてないわ」と母。
「知らん」と兄。

最後に父は俺に聞いてきたので、俺は泥棒にでも盗まれたのではないかと言ったのだが、父はかぶりを振り、誰かが家の中に侵入した形跡はなく金目のものが一切盗まれていないことからその可能性は低いと答えた。

それなら祖母が、別の場所の移したことを忘れているだけではないかと言ったのだが、祖母はそれは有り得ないと頑なに自分の記憶を否定しない。仕方なしに、家族全員で家中を捜索することになった。それでも結局、祖父の日記は見つからなかった。

すると再び家族を集めて父が言った。

「家族を疑いたくはないが、この中の誰かが嘘をついている。あるいは記憶違いをしている。後者であることが望ましいが、それはそれで、ややこしいなあ」

頭を抱える父。そこで水を差すようなことを敢えて俺は言った。

「そもそも祖父ちゃんの日記って、どんなやつ?」

誰も何も答えない。父も母も兄も、首を捻る。そもそも祖父の日記は祖母しかその存在を知らなかった。その存在自体を俺は疑っていた。

俺は祖母に問いかけたつもりであったので、祖母に視線を向けると瞳を閉じていて、まるで狸寝入りでもしているかのよう。もう一度問いかけようとすると、萎んだ風船に僅かに残っていた空気が出てくるかのように祖母は答えてくれた。

「何枚かの紙にミカンの絞り汁をつけた筆で書かれたものだったわ。あぶり出しじゃないと読めないの。だから内容はわからないわ。ごめんなさい」

それからしばらく家族で捜したのだが、日記は見つからなかった。

それもそのはず。

そんなもの、俺の記憶にはないのだから。
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『蜚蠊を生かした彼』

私は大の昆虫嫌いだ。

形が気持ち悪いのはもちろん、美しいと称される蝶々の類いでさえ視界に入れば悪寒を感じてしまう。過去にトラウマがあったということはないのだが、昆虫を好きでいる人の気持ちは全く理解できない。だから、彼と出会った時も、第一印象は最悪だった。

彼との出会いは学生時代の合コン。自分の趣味を話す流れで彼は、鼻高々と昆虫の魅力について熱く語り出した。大学でその昆虫の研究までしているというのだから、それはもう趣味の域を超えているのではないかと私は感じていた。その話を聞いているだけで徐々に私は吐き気を催したので、逃げるようにしてお店のトイレに駆け込んだのだ。
そしてトイレから出てくると、どうやら友人が私の昆虫嫌いを彼に話したらしく、その彼が深々と頭を下げてきたのだ。私はただ飲み過ぎただけと、謝る彼に対して逆に申し訳ない気持ちになり、そう言葉を返した。

それからしばらく、彼と連絡を取り合う仲になっていた。私にとって彼は、昆虫が好きだということ以外に欠点が見つからないといっていいほど、大人としてよくできた人だった。アルバイトでモデルも熟しているというほど容姿も良く、尚且つ頭も切れ、そして私を好きだと言ってくれた。彼の友人関係からの話でも、彼は何事にも一途であり、昆虫以外にも幼い頃から使っている物を大切にしているのだという。

そして私と彼の交際は始まった。

そんな彼がなぜ私を好きになってくれたのかは未だにわからない。大学を卒業してからも彼との交際は続いた。彼は、私と一緒に過ごすときにも、自分が大好きな昆虫の話は一切してこなかった。私に気を遣っているのだろう。私の方からその話はしないでほしいと、願い出たことはない。彼は私に嫌われないようと必死に私が好きなものを知ろうと努力をしてくれていた。


そして私たちはついに同棲をすることになった。そんなある日である。

私が一人リビングでくつろいでいると、あの口に出すのも厭な、汚物のような色の身体に細い手足が生えたような昆虫が、エクソシストの映画を想像するような登場の仕方で私の視界に入ってきたのだ。

途端、私は悲鳴を上げて、台所にいた彼に助けを求めた。

「はやく殺して!」

彼は私の側まで来たところで、私が見たもの、そして私が「殺して」と叫んだ理由を悟ったに違いない。

あの時の彼の行動は、今思えば当然でもあったし不自然でもあった。

彼はそいつを素手で捕まえると、部屋のベランダから外に逃がしたのだ。その彼の行動の一部始終を、カメラの連写機能を使って撮影した写真のように見つめていた私には、当然の如く理解できないものだった。

ただ私が問い詰める前に、彼の方から口を開いた。

「ごめん。やっぱり昆虫は殺せないよ」

その言葉を聞いて、私は禁断とも言える問いを、彼に投げかけることを決心した。それまで心の奥底に閉じ込めてあった問いだ。

「私と昆虫、どっちが好きなの?」

すると、彼は迷わず答えた。

「僕は、昆虫が嫌いな君が好きなんだ。だけど、殺すことはできない。彼らを殺せというなら、同じように君も殺さなくちゃならない」

そんな彼の頭を、私は思いっきり叩いてやった。

『怒り憩う』

私の同期であるJは、不器用でよく仕事で失敗をする人だった。

小さな町工場で働く私たちは、小さな部品を製造する仕事を毎日行っている。まだ新人の私たちは、工場長や先輩たちに直接教えを請いながら働いていた。

その中でもJは、人一倍仕事を全く覚えるのが遅かった。技術を求められる仕事は慣れるまで時間はかかるもの。しかし、Jはかかりすぎだった。それは同期の私が見ても明らかだった。

失敗をする度に工場長や先輩たちから叱責を受ける。Jはすぐに「すみません」と頭を下げるのだが、先輩の気づかないところで小さく文句を吐いていた。何て言っているのかはわからない。それでも口元を見れば悪魔が囁くようにぶつぶつと言葉を吐いているのがわかる。

もうJの導火線には火がついていて、いつか爆発してしまうのではないか。あるいはJのその態度が先輩に気づかれて逆鱗に触れてしまうかも知れないということを、私は恐れていた。

仕事が休みの日、私はJを食事に誘った。もちろん先輩などはいない。Jの話を聞いて、少しでもその導火線の火を沈めることができないかと模索した結果、そうすることにしたのだ。
こうした食事は初めてではない。元々Jは人当たりの良い人間だった。同年代や後輩には好かれるタイプなのだと思っていた。馬が合う。そう感じていた私とJは、当初は何度も食事をしていた仲でもあったのだ。Jの仕事での失敗が目立つようになってからは、互いに食事に誘うのを敬遠していた節もある。私にとっては、以前のように戻れたらという願いもあっての今回の食事でもあったのだ。

お酒が進み出すと、Jは呪文のように工場長や先輩たちの文句を吐いていった。頬を赤らめ頭には角を生やしていた。
私はそれを邪魔しないようにただ受け止めるだけに専念した。Jの話し相手になることでJが抱えるストレスを吐き出せる受け皿となれれば良かった。言葉の内容は頭に止めず聞き流す。丁度いいタイミングで相槌を返してあげることだけに集中する。

しばらくすると、酔いの回ったJは言葉数が少なくなり、うとうととし始めた。私は「そろそろ帰ろうか」と言い、ふらつくJを支えながらお店を出た。

道でタクシーを捕まえてJと一緒に乗り込む。車内でJはまだ吐き出したりないのか、目を閉じながら口元を小さく動かしぼそぼそ声を漏らしている。普段は聞けないその言葉。何と言っているのか気になった私はJに近寄り口元に耳を近づけた。

その時、私とJの肩がぶつかり、その反動でJの身体は力なく倒れ、Jの頭が私の膝の上に乗っかった。

見ると、Jの口元はもう動いていない。私もしばらく動けずにいた。他人の頭が自分の膝の上に乗るのは初めてだった。自分の心臓の音だけが烈しく聞こえる。

タクシーがJの自宅近くに着いた時、なんとか私はJを起こした。そして去り際にJは、私に気を遣うような素振りは一切見せずに「まだまだ吐きたりないや」と言った。

Jのその頬は元の血色に戻ってはいたが、まだ角は生えているようにも見えた。

『開かずの巾着』

さて、今回は『赤ずきんちゃん』ではなく『開かずの巾着』です。


肌を刺すような冷え込んだ夜。その日暮らしをする男がいました。男には一定の住居もなく、外で宿を取ることも少なくありません。そんな男は当然ながらお金に困っていました。たまにする仕事だけでは部屋を借りることすらできません。

男はかじかんだ手を温めながら住宅街を練り歩いていました。時折すれ違う人々は男のことを蔑んだような目つきで一瞥してきますが、男は全く気にも留めず歩いて行きます。男の風貌は確かに不自然です。髭を生やし髪もボサボサ、服装もここ数年は同じものを着ています。

しばらくして男は目的の公園にたどり着きました。この公園には何度か訪れたことがありました。同じ場所にずっと居続けると、近所の人に怪しまれてしまうので、しばらくしたら寝床を移動しなくてはなりません。転々と移動する、男にとってそれは慣れっこでしたが、この公園には比較的に多く訪れていました。その理由は、この公園には野良猫が数匹現れるからでした。

猫は男の風貌を見ても全く瞳を変えずに擦り寄って来てくれます。男が唯一温もりを感じることができる空間でした。
男は公園の草むらに自分の荷物を置き、その荷物の中から猫の餌を地面に撒き、自分は公園の敷地内から出ました。そうしておけば、そのうち餌に釣られた野良猫たちが顔を見せてくれるはず。公園から出たのは野良猫たちの警戒心を解くためでした。

公園から少し離れて時間が経つのを待っている間、男は住宅街の塀の陰に身を潜めていると、塀の隙間からあるものを視界にとらえました。それはその塀の向こう側にある一軒家の窓硝子が烈しく割られていたのです。

明らかに泥棒が侵入した形跡でした。男の意識はすでにその家の中にありました。辺りに誰もいないことを確認してから塀をよじ登り敷地内に侵入します。割れた窓硝子の側に来ると部屋の中が烈しく荒らされているのが見て取れました。おそらくもうすでに金目のものは取られてしまっているでしょう。自分がこの場にいるのを誰かに見られたら誤解されかねません。男はすぐにこの家から離れようと振り返ると、塀の内側に赤い色をした巾着袋が落ちているのを見つけました。

泥棒が落としていったのでしょうか。男はその巾着を拾い上げます。ずっしりとした重みがありました。感触から中身は小銭がたくさん詰まっているようです。しかし巾着の紐は固く結ばれていて、簡単には開きそうにありません。男はこの巾着の中身を確認するよりもこの場を離れるのが先だと判断し、急いで塀をよじ登り先ほどの公園まで戻りました。

慌てて戻ってきたせいか、野良猫たちが先ほどまでいた形跡はあるのですが、その姿は見えません。仕方なしに男は草むらの陰に身を潜め拾ってきた巾着を眺めます。たとえ小銭でも全て合わせれば数千円、もしかしたら数万円入っているかも知れません。そんな期待が膨らみます。

しかし男は巾着の結び目を解こうとしますが、かじかんだ指先ではなかなか解くことができませんでした。男は次第に苛立ちはじめ、もう底の方から袋を破いてしまおうと考えました。

そして持っていたナイフで巾着の底を破きました。すると男は「ぎゃあ!」と尻尾を踏まれた猫のような叫び声を上げました。
その巾着から出てきたのは、たくさんの鼠の死骸でした。

男がその後、警察の御用となったのは言うまでもありません。

『邪険に妬む』

私の教え子であるJは、あまり良くないことで目立つ子だった。

クラスの中では真面目な方で、授業中に手を上げて積極的に発言するようなことはないのだが、成績も良好であり運動もそれなりに熟していた。それでも担任の私だけでなく、校長や教頭、学級主任の先生など一部の目には、Jが殻を被った鬼のように見えていただろう。

Jの家庭は母子家庭で、国からの援助などで生活している。いくらかの借金を抱えているらしく、母親は毎日スーパーで働き、少しずつ返済しながら、それでもJの給食費などはしっかりと払っていた。苦しい生活をしているのは、皺の寄ったワイシャツ着ているJを見ていれば容易に理解できた。

家庭が貧しいからといって、Jが虐めにあっている様子はなかった。Jの周りには友達もいたし、休み時間には教室で友人たちと会話をしている様子は何度も見たことがある。

ただ、噂は唐突に耳に入ってきた。Jの担任を務める数日前、校長室に呼び出された私は、その噂を聞かされたのだ。

Jの父親は、強盗犯だったというのだ。ただそれはあくまでも噂。校長先生たちがどこでその噂を嗅ぎつけたのかは教えてもらえなかったが、信憑性は高いらしい。親がそうであるから子もそうだというような邪な考えは避けたい。それに藪をつついて蛇を出してしまっては困る。だから母親に確認するのも躊躇われ、その噂は一部の教師たちだけの内証事となった。

噂というのは、知らないうちに小さな隙間から漏れだし、いつのまにか充満してしまうガスのようなもの。どこから漏れ出したのか分からないうちに火をつけ、爆発してしまうことだってある。私はそれを心配していた。
しかし、学校が始まり多くの時間が経っても、その噂が広まるようなことはなく、Jは他の生徒と何の変わりもなく過ごしていた。私自身も噂自体を忘れている日々もあった。

そして初めての三者面談の日がやってきた。

Jの進路について、JとJの母親と面談する。事前の調査でJは就職を希望していた。家庭のことも考えてのことなのだろう。しかし、現代で高校進学をしないのは惜しい。私はJの将来を考えて進学を勧めるための面談でもあった。

「Jの成績であれば、そこそこ良い高校を目指せると思うのですが?」

Jの母親は、Jが就職を考えていることは知らなかった様子。そしてJの気持ちを察して複雑な様子でもあった。するとJは、私の勧めを尻尾で撥ね除けるかのように言った。

「お金を、少しでも早く自分で手に入れたいんです。どんなことをしても手に入れます。……もう、他人を地べたから眺めているのはうんざりなんです」

鬼が出るか蛇が出るか。Jの視線は私を捉えてはなさなかった。