十文字掌編小説ぶろぐ

べんべんとした日常に豊かな物語を。短くたって構わない。豊かなものでさえあれば。 不定期の更新です。月3回を目標に。

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『世界とアルカナ』

 その日、町はお祭り騒ぎになっていた。
 王国で王位継承の式典が開催されていたからだ。女王様が高齢を理由に王位を退き、成人を迎えた王子ことソフィア王子が次期王となる。
 王位継承の祭典は国中で盛り上がり、すべての国民が注目する。それだけ王族は国民に崇められていた。仕事や学校は休みとなり、多くの人がお城前の広場まで足を運ぶ。新たな王の言葉をその耳で直接聞くために。

 アルカナは、その祭典の特別招待客としてお城に招かれていた。やけにきらびやかな衣装は女王様があつらえてくれたものらしい。アルカナにとっては息苦しいものだったが、口にはせず一日の我慢だと思って袖を通した。
 祭典には女祭司も招待されていた。顔なじみが傍にいるだけでも、アルカナには心が落ち着いていられた。しかし女祭司は、いつもと変わらない装いだった。
 長い廊下の窓から外を見下ろすと、すでに多くの民衆が立錐の余地もないほどに集まっていた。

「そろそろ始まるそうです」

 メイドの一人がアルカナたちを呼びに来た。女祭司と並んで向かったアルカナは予め用意された席へと腰を下ろす。その席はおそらく招待客用の席だろう。アルカナたちの他にも、肥えたお腹の老人や立派な髭の蓄えた紳士、薔薇のような花飾りを纏った淑女などが鎮座していた。
 しばらくすると、心臓を鐘で突かれたような拍手喝采が起きた。女王様がその神々しい姿を見せたからだ。その後に続いてソフィア王子も姿を見せた。普段王様は民衆の前に姿を現すことはない。だから余計騒がれる。王位継承の儀も人生でそう何度も開催されるものでもないからだ。ただ、アルカナにとっては初めて見る光景。正直これほどまでとは思わず、身を竦めてしまった。

 拍手を止めるよう壇上に立った女王様が片手を挙げると、魔法がかかったかのように一瞬で鳴り止んだ。

「皆様、本日はお忙しい中お集まりいただき誠に感謝しております。この度は王位継承の式典の開催に伴って、わたくし現女王から申し上げることはひとつ。それは、ここにいる王子、ソフィアの王としての資格が正直まだまだ身に余るものだと感じていることです。しかし、それでも本日王位継承の儀を執り行うことになった次第につきましては、当人の口から皆様にお聞かせしましょう。さて、わたくしからは――」

 女王様のお言葉は民衆を陶酔させ、拍手喝采へと自然に導いた。女王様の後に続いてソフィアが壇上に立った。その際、ほんの一瞬だけ視線をアルカナのほうに向けた。

「我が名はソフィア。本日の儀によりこの国の王となるものだ。皆のもの、先に私から述べておくことがある。私は自由主義者だ。自由こそがこの世界で最も完美である。皆もくだらぬしがらみに囚われず自由に生きて欲しい。ただし、悪事を犯すことだけは許されない。悪事を働いたものはすぐに見つけてやる。いいか、それだけは覚悟しておけ!」

 威勢良く言い放ったソフィアは拳を高々と天へと掲げた。それを見てお城の兵士たちも拳を掲げる。それに呼応するかのように躊躇っていた民衆、特に男性陣が拳を掲げ始めた。
 それを見て思わず顔を伏せたのは、アルカナだけではなかった。女王様も女祭司も同じように顔を伏せていた。まだまだ若気の至りが垣間見られた言葉だった。

 それから形式的な式典は粛々と進み、すべての行事が終わると王族関係者と招待客を招いて祝賀会が開かれた。
 会場は以前会食が催された場所だった。しかしその時よりも人も多く、息苦しい衣装もあいまってアルカナはすぐに会場から離れた個室で休むことにした。

 アルカナが一人でその部屋にいると、同じように賑やかな会場から逃げ出してきた人物がいた。

「やあ、やっぱりここにいたんだね」

「あら、これはこれは王子さま。あ、失礼もう王様でしたね」

「なんだかな。君にもそうやって襟を正されちゃうと、僕の周りは見えない壁に囲まれているみたいだ」

「自由主義のあなたにとっては、だいぶ窮屈そうね」

「そうなんだよ。やっぱり君ならわかってくれると思ってたよ」

 余計なことを言ってしまったと、アルカナは思わず口元を隠す。そんなアルカナの仕草には目もくれず、ソフィアは言葉を続ける。

「ところで話は変わるけど、サンチェスはどこに行ったかわかる?」

「どこって、会場にいたわよ。女王様の傍に立っているわ」

「そうか、やっぱり……」

ソフィアはそこまで言って口を一文字に閉じた。それから口角を上げ白い歯を見せた。

「何か楽しいことでもあったのかしら?」

 アルカナがそう尋ねると、ソフィアは悪戯を企む少年のように言った。

「君はホワイトエレファントの話は知っているかい?」

「いいえ、知らないわ」

「ホワイトエレファントはとある国では神聖の象徴として崇められていた。そこである国の王が、厄介に思っていた臣下にそのホワイトエレファントを贈ったんだ。それを受け取った臣下は、王からの授かりもであり神聖な動物を他人に譲ったり、ましてや殺すわけにもいかず育てるのだが、ゾウを育てるのは資金や苦労がかかる。そうしていつしかそのホワイトエレファントは『無用の長物』という意味の言葉になってしまったんだ」

 そこまで言うと、なぜかソフィアはアルカナの前に跪いた。

「アルカナ。君のその力、ホワイトエレファントにしてはいけない」

 慌ててアルカナはかぶりを振るう。

「いけません。国の王となるお方が、ただの小市民に対して跪くなんて」

「いいや、君はただの小市民ではない。これまでの功績、僕は町を歩きながら実際にこの耳で聞いて回ったんだ。そうしたらどうだ。アルカナちゃんに助けられたとか、アルカナちゃんは本当に頭が良い子だという話ばかりだった。あの女王様だって認めてる。そんな小市民がいるもんか」

 ソフィアの必死の訴えは、アルカナの心を揺さぶった。

「あたしに……何をしろと?」

「この国の幸せを、僕と一緒に見守って欲しい」

 今までに見たこともない表情のソフィアは、もう塵の積もった山のように大きな存在になりつつあった。
 この王様なら、この国を今まで以上に幸福感に包んでくれるかもしれないと、アルカナは自然とそう感じた。だからアルカナは次のように返事をした。

「あたしはあなたは常に見ていますからね。それでも良ければお供しましょう。ソフィア王殿」
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『審判とアルカナ』

 人は死んだら生まれ変わるんだって、いつか読んだ本に書いてあった。ただそれがどの本だったかまでは、忘れてしまった。

 この家はこんなに広かっただろうか。改めて見ると、不思議とそう感じる。産まれてからずっとこの家に住んでいたのに。
 荷物はあらかた片付いている。たくさんあった本も、施設に寄付する形で落ち着いている。思い出の詰まった家を手放すのは心苦しいが、近くに置いておきたい物だけは残してあった。ブリキの戦車、月桂冠、そしておばあちゃんの日記。

 そういえば人は死んだ後、天国やら地獄やらに行くともどこかの本で読んだ記憶がある。

 あたしはこの空っぽになった家の中で、迎えが来るのを待っている。正直なところ、あたしの心の中も、今のこの家と一緒で空っぽになっていた。
 これまで、たくさんの人に出会った。そのほとんどがあたしの力を求めてやってくる。あたしの中の不思議な力。これはこの世界から見失ったものを捜し出す力。目を閉じて集中する。すると、その無くし物を見つけることができた。町の人や王国の方々の無くし物を見つけてきた。どれもこれも良い思い出だ。

 すると玄関の扉をノックする音が聞こえた。迎えにしては少し早い気がすると思いながら扉を開けると、いつかのピエロさんが立っていた。

「あら、お久しぶりですねピエロさん」

「こんばんは、アルカナちゃん。またひとつ捜して欲しいものがあるんだけどいいかな?」

「ごめんなさいピエロさん。あたしもう、そういったことはやめたの」

「え、それは本当かい?」

「うん。この家ももう出て行くところなの」

 ピエロさんは、変わらぬ表情で家の中を軽く見回すと小さく頷いた。

「そうか。それは残念だ。でも、こうして訪れて、お別れの挨拶ができると考えたら、運がよかったのかもしれない」

「そうね。ただ、力にはなれないけど、ピエロさんは何を捜して欲しかったのかは聞いても良いかしら?」

「ええ、もちろん。実は一冊の本を捜していて」

「本?」

「タイトルや表紙は忘れちゃったんだけど、内容は覚えてる。人の死後を描いた物語でした」

 人の死後という言葉に、あたしは敏感に反応した。

「その本、もっと詳しく教えてはもらえませんか?」

「良いですよ。
 確か主人公はとある事件で死んでしまい、その後現世と死後の世界の狭間で三つの岐路に立つ所から始まります。ひとつは平和と安寧の天国へ。ひとつは現世での罪償う地獄へ。そしてもうひとつは現世へと生まれ変わる新たな世界へです。そこで主人公は当然かのように生まれ変わりの道へと歩みを進めようとしますが、ふと聞こえてきた天の声に足を止めます。
 主人公は生前、多くの悪事を働いていたので、地獄へ行きこれまでの罪を償うことを諭されます。そして主人公は地獄の道へ向かおうとしますが、再び天の声が呼び止め、今度は天国へと向かうように諭されました。
 実は主人公は死ぬ間際、盗賊に襲われかけた少女を助けていました。その行いは、平和に包まれる証は十分であると諭されます。なので今度は、天国の道へと主人公は歩き出し
ます。
しかし、三度天の声が主人公の歩みを止めます。今度は生まれ変わりを勧めてきたのです。働いてきた悪事の分だけ良いことをすることが定めであると」

「なんだか、ややこしいわね。それで結局主人公はどうしたの?」

「それが、思い出せないんです。残念なことに」

「だから捜して欲しいって頼んできたのね。でも、おもしろそうね。その本」

「ええ、おもしろいですよ。特にこの天の声が言葉巧みで」

 ピエロさんは「残念」やら「おもしろい」やらと言葉にするものの、表情が変わらないため少し不気味に思えた。せめて声色だけでも変えて欲しい。
 すると、ピエロさんがポケットから一枚のコインを渡してきた。

「これはお別れの印です。是非もらってください」

「でもこれはピエロさんの商売道具じゃ……」

「いいんです。高価なものでもないので」

 そう言って、初めてピエロさんは声に出してフフッと笑った。それから人差し指を立てて訊いてきた。

「最後に一つだけ訊かせてもらっても良いかな、アルカナちゃん」

「なに?」

「もし先程の話の主人公のように三つの岐路に立った時、アルカナちゃんだったらどうする?」

 しばらく考えてからあたしは答えた。

「あたしは今の世界が大好きなの。辛いこともあるけれど、それもすべて経験。あたしにとっては大切に積み上げてきた栄養よ。あたしはまだ小さな蕾。いつか花咲かせるまでは、天国や地獄、ましてや生まれ変わるなんて考えられないわ。だから今のあたしなら、来た道を戻るわ」

 あたしの言葉にピエロさんは大きく拍手をした。しかし、相変わらずその表情は泣きながら笑っている。いや、もう泣いてなどいなかった。

「そうか、それは考えてなかったよ。ハハッ、僕はとんだピエロだな。それじゃ失礼するよ」

 立ち去るピエロさんの後ろ姿はもうピエロではなく、伝染する微笑みの持ち主のただのクラウンに生まれ変わっていた。

『太陽とアルカナ』

 ステンドグラスからこぼれる日差しは、まるで透明なカーテンのようだった。

 そんなカーテンに包まれながら聖母マリアに一人、アルカナは祈りを捧げていた。そこに女祭司がゆっくりと近づいてきた。

「アルカナちゃん、あなたにお客様がいらしたわ」

「あたしに……ですか?」

 すると教会の扉が開き、そこから見覚えのある顔が現れた。

「お久しぶりです。アルカナ様」

 そこに立っていたのはサンチェスだった。王国の遣いとして以前、アルカナの元に訪れてきた人物。

「久しぶりです、サンチェスさん」

 アルカナが挨拶をすると、サンチェスは深々と頭を下げた。その時、アルカナの視線の先、サンチェスが頭を下げたその向こう側に人影が見えた。

「初めましてっていうのは少し違うかしら」

 大きなピザ生地のような鍔のついた帽子をかぶった女性。一度会ったことがあるような口ぶりだが、思い出せずアルカナは首をかしげる。目深にかぶっていた帽子を女性が取ると、まるで彫刻で作られたかのような美しい顔が微笑んだ。

「……どうして、女王様がここに?」

「あなたとは、一度ちゃんとお話がしたくってね」

「ごめんなさいアルカナちゃん。本当は事前に伝えておこうかとも考えたんだけど、話すとあなたのことだから断ると思って」

 女祭司が謝る中、アルカナも首を横に振る。

「あたしは大丈夫です。そんなことより、女王様がわざわざ足を運んでくださるなんて」

 すると、女王様がサンチェスに何か合図を送り、サンチェスは深々とお辞儀をしてから女祭司を連れて教会の外へと出て行ってしまった。
 それから女王様は、バージンロードを歩くかのような足取りでアルカナに近づき、ふと何かに気づき足を止めた。

「それは何かしら?」

 その視線の先には一冊の本。それに気づいたアルカナはすぐに答える。

「これは、おば……祖母の日記です」

「おばあさまの……。ちょっと見せてもらっても?」

「はい。どうぞ」

 手渡した日記を、女王様は真剣な眼差しで見つめた。
 それからアルカナに対して女王様は優しく問うた。

「あなたが太陽を描く時、何色で描くかしら」

「太陽ですか。……赤、ですかね」

「それはあなたの心からの言葉ではないのでしょう。私や聖母の前で嘘は禁物ですよ」

「すみません。あたし、自分で見えないものは絵に描くことができないので。だから眩しすぎる太陽は、描いたことがないのです」

「それならこのおばあさまの日記にある『真っ白な太陽』って部分、あなたはどう感じた? 太陽の色が真っ白だと知って」

 女王様は何を言いたいのか。アルカナはその真意を確かめる前に、自分の意見を述べるべきと悟った。

「素直にそうなんだと思いましたけれど、それはおばあちゃんの喩えでもあるかもしれないとも同時に思いました。
太陽は何色にも染まる“白”であるべきなのだと。つまり、太陽という存在は、誰一人もそれを独占することはできないけれど、誰でも自分にとって唯一無二の存在にもなり得るということを」

「なら、質問を変えるわ。――あなたにとっての太陽は何色かしら?」

 その問いに、アルカナは躊躇なく答えた。

「真っ白です」

 すると女王様は微笑み、その美しい口元を動かしてアルカナの心に語りかけた。

「よかったわ。これからは、問題なく太陽を描けることでしょう。太陽の色が見えたのだから。それにこれであなたはまた、不思議な力を使えると思うわ。あなたにとってその力は、あなた自身の名前の由来でもあるのだから、それを失うことは名前まで失うことになってしまうのでしょう。――ね、アルカナ」

 ちょうどその時、教会の扉がゆっくりと開いてサンチェスが顔を出した。

「すみません女王様、そろそろお時間が」

「わかったわ。すぐに行くわ」と女王様が言葉を返すと、去り際にアルカナの耳元で女王様が囁いた。

「うちの王子があなたに迷惑をかけたみたいでごめんなさいね。あの子、父親に似てリベラルなの。許してあげてね」

 夢か現実か曖昧な時間はあっという間だった。女王様が去った教会には、気品漂う香りとともに、底知れぬ恍惚とした空気がさまよっていた。
 女祭司がアルカナの元に近づき、肩にそっと手を置く。アルカナは頷いて瞳を閉じた。

 それからアルカナは「あったよ。おばあちゃん」と小さく呟き、心の中で泣いて笑った。

『月とアルカナ』

「アルカナちゃん! 大変だ!!」

 静寂の包む町に悲鳴のような声がこだました。
 アルカナの家に、近所に住む男性が突然扉を叩いた。

「いったいどうしたんですか? そんなに慌てて」

 相手を落ち着かせようとアルカナが声をかけると、息を切らしながら男性は言った。

「君のおばあさんが、森に入ったきり戻らないんだ!」

 その言葉に、アルカナは一気に表情を青ざめさせた。

 最近、森で狼に襲われるという事件が多発していた。なので日が暮れてからの森への立ち入りは、国で禁止されていた。
 この日のお昼おばあちゃんは、森へキノコ狩りに出かけていた。これまでにも何度かおばあちゃんは森へ訪れている。道に迷うとは考えにくい。つまり、おばあちゃんの身に何かあったのだ。

 助けに行かなくては。

 アルカナはすぐに瞑想した。しかしいくら瞑想しても、おばあちゃんを見つけることができない。不安が溢れ出し気が動転していたアルカナは、普段の力が発揮されていなかった。

――落ち着いて。落ち着いて。
 そう自分に言い聞かせていたアルカナは、はっとあるものを思い出し、急いでテーブルの引き出しを開けた。そこからひとつの指輪を取り出す。それはおばあちゃんから預かった大切なエンゲージリングだった。

「……お願い」

 指輪を握りしめたアルカナは、祈るようにもう一度瞑想する。

「あるかなあるかなあるかな……」

 目頭に深い皺ができるほど強く目を閉じていたアルカナは、そのまま糸が切れたかのように倒れてしまった。


 気を失ったアルカナが、目を覚ました時にはベッドの上に横になっていた。

「おばあちゃんは?」

 誰もいない家の中で、アルカナの小さな声は宙に漂い虚しく消えた。
 窓の外を見ると、まだ空には大きな月が浮かんでいた。先ほどの男性はもういない。おばあちゃんを捜しに行ってくれたのだろうか。例えアルカナがおばあちゃんの居場所を見つけても、自分で捜しに行くのは危険だ。大人を頼るしかない。
 ただ、現状アルカナはおばあちゃんを見つけられていない。肝心な時に突然力が使えなくなる自分を、アルカナは酷く恨んだ。

 ふと、アルカナは自らの手のひらを確認する。握りしめていたはずの指輪がなくなっていた。慌てて部屋の中を見渡す。しかし、アルカナ位置から見渡した限りでは、指輪は見当たらなかった。
 心身ともに疲弊していたアルカナは、ふらつく足取りである部屋へと向かった。そこはおばあちゃんの部屋だった。

 普段はほとんど入ることはない部屋。ベッドと本棚、そしておばあちゃん愛用のロッキングチェア。とても質素な部屋だが、なぜか温もりを感じる。
 アルカナは何かに誘われるかのようにゆっくりと本棚の前に立つ。そして一冊の古本のようなものを手に取った。それは聖書ほどの厚さがあり、使い古されたような傷や日焼けの跡が所々に見受けられた。しかし、埃はかぶっていない。

 ページをめくると、そこにはおばあちゃんの文字で日々の出来事が、優しい言葉で綴られていた。

「……おばあちゃんの日記」

 アルカナの知らないおじいさんとの思い出、そして娘であるアルカナの母親との思い出、読み進めていくうちに自然とアルカナの瞳から涙がこぼれた。
 最後のほうになると、アルカナとの思い出が綴られていた。文末におばあちゃんの言葉で次のようにあった。

《瞳を閉じた世界は、真っ暗闇ではありません。夜は黄金色の月や星が輝き、昼には真っ白な太陽が微笑んでくれています。
私の大好きなアルカナは、瞳を閉じた世界で何を見ているのでしょうか。彼女はたくさんのものを見てきたと思います。私には想像できないくらい。でも、彼女には彼女が本当に見たいものを見て欲しいと願っています。
 アルカナは、もう十分なくらい見たくないものまで見てきたと思うのです。でも、それが彼女を成長させ、今では私よりも立派な女性になりました。ただ、まだまだ彼女の人生は長い。
 どうか女神様、アルカナの今後の人生、幸せなことを多く見つけられる瞳を彼女に与えてはいただけませんでしょうか。》

 ゆっくりと日記を閉じたアルカナは、いつのまにか顔を出していた朝日に目を細めて涙をぬぐった。

『星とアルカナ』

「王子は案外お暇なのね」

アルカナの家に王子がこっそり遊びに来ていた。

「まあ僕は、自由を愛しているからね。でも今日は、わざわざ足を運んだんだよ。もう少し歓迎してくれても良いと思うけど」

「あら、それは失礼。あたしは歓迎してますわ。あまり顔には出ないのよ」

「そうかい。なら、僕がここに来た理由もわかってるんだろう」

「ええ、この間のお礼をしに来たんでしょ」

王子は子供のような笑みを浮かべて言う。

「そうそう。そこでアルカナは何か欲しいものとかある?」

アルカナは呆れたように首を横に振った。

「そうか。それじゃ、アルカナって将来なりたいものとか夢みたいなものはあるのかい?」

将来。正直アルカナは、自分の将来のことについてはほとんど考えたことがなかった。

「うーん、そうね、じゃあ逆に何が良いと思う?」

すると、王子は腕を組みしばらく考える。

「そうだね。女王様っていうのはどうだい?」

「それは現実離れも甚だしいわ。だって王族は代々世襲制でしょ。あたしみたいな小市民には雲をつかむような話だわ」

「そんなことはないよ。君にだってなれるさ。今の女王様も元々は小市民だったんだから」

王子はそう言うと、なぜか椅子から立ち上がり窓際に立った。それを訝しむアルカナは、はっと何かを悟り言葉を返した。

「それってあなたなりのプロポーズのつもり?」

すると王子は、わかりやすく頭をかいて俯いた。

「もちろん、今すぐって訳じゃない。女王様にはまだまだ元気で座っていてもらいたいからね。ただ、いつかは僕がその椅子に座ることになる。でもあの椅子は一見豪華に見えても、僕にとっては拷問椅子と同じ。こればっかりは、理解してもらえないだろうけどね」

「そういうことなら、お断りするわ」

素っ気ないアルカナの言葉に、王子は慌てた様子で言う。

「どうしてだい? 女の子の憧れといったら女王様だろ。なろうと思ったってなれないのに」

「そうね。女王様は輝かしいお星様のようだと思うわ。お願い事も叶えてくれそうですもの。でもね、あたしはおばあちゃんと一緒にこの家で暮らしていたいのよ」

「はあ、もったいない。君こそ女王様に相応しいと思ったんだけどなあ」

そう言いながら王子は、諦めたかのように玄関扉のほうに向かって歩き出した。その後ろ姿に違和感を覚えたアルカナは、独り言のように声をかけた。

「お国は、あたしの力がお目当てなのかしら」

アルカナの言葉が、王子に聞こえたかどうかわからなかった。しかし、王子が扉を開けて振り返った時の笑顔がわかりやすく引きつっていたので、どうやら図星のようだった。
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